追悼の森
田中 絹代さん死去

女優 田中 絹代 さん死去

1977年(昭和52年)3月21日 死去 享年67歳

田中絹代写真 

女優 田中絹代 さん死去

日本映画史を代表する大女優の一人 田中 絹代(たなか きぬよ)さんが 1977年(昭和52年)3月21日、肺がんの転移による脳腫瘍のため死去した。67歳だった。

1924年(大正13年)、14歳で野村芳亭監督の「元禄女」で銀幕デビュー。生涯に約250本の映画に出演し国民的女優として人気を誇った。

1938年(昭和13年)に上原謙とのコンビで公開された「愛染かつら」は空前の大ヒットとなり シリーズ化された。

人物 / 略歴

田中 絹代(たなか きぬよ、1909年11月29日 ~ 1977年(昭和52年)3月21日)

山口県下関市丸山町に生まれる。

◆ 略 歴

1916年、下関市立王江尋常小学校に入学。大阪天王寺に移り、1918年4月に天王寺尋常小学校の三年に編入する。

◆ 戦前、戦中 / アイドルスター

幼少時より、琵琶を習い、1919年に大阪楽天地の琵琶少女歌劇の舞台に立つ。

1924年に松竹下加茂撮影所に入所し、野村芳亭監督の『元禄女』でデビューする。

その後、映画『村の牧場』や『恥しい夢』に出演。当時の人気スター鈴木傳明との作品でヒットを重ね、松竹のドル箱スターとなり、会社の幹部に昇進した。

また、上原謙とのコンビで1938年に公開された『愛染かつら』は空前の大ヒットとなり、シリーズ化された。

◆ 戦後 / 演技派スター ・ 女性監督

終戦後、溝口監督の『女優須磨子の恋』や小津安二郎監督の『風の中の牝鶏』などに出演し、高い評価を得、1947年、1948年と連続して毎日映画コンクール女優演技賞を連続受賞する。

その後も、木下惠介監督の『楢山節考』、小津監督の『彼岸花』への出演、京マチ子主演の『流転の王妃』の演出など、常に映画界をリードする活躍を続けた。

その一方で、テレビドラマにも活躍の場を広げ、『前略おふくろ様』の主人公の母親役やNHK朝の連続テレビ小説『雲のじゅうたん』のナレーションなどで親しまれた。

1977年(昭和52年)3月21日、肺癌が転移した脳腫瘍のため67歳で死去。

特記事項

没後、勲三等瑞宝章が授与された。

2010年2月13日、生誕の地で7歳まで過ごした下関市に「下関市立近代先人顕彰館 田中絹代ぶんか館」がオープン。

◆ 田中絹代 / 主な出演映画(1970年以降)

◇ 男はつらいよ 寅次郎夢枕(1972年)

◇ 三婆(1974年)

◇ サンダカン八番娼館 望郷(ベルリン国際映画祭銀熊賞(女優賞)受賞作品。1974年)

◇ 北の岬(1976年)

◇ 大地の子守歌(1976年)

◆ 田中絹代 / テレビドラマ

◇ 木下恵介劇場 / 二人の星(1966年、TBS)

◇ 桃太郎侍(1967年、日本テレビ)

◇ 大河ドラマ / 樅ノ木は残った(1970年、NHK)

◇ 明日のしあわせ(1970年、NET)

◇ 女人平家(1971年、朝日放送)

◇ たった一人の反乱(1973年、NHK)

◇ 東芝日曜劇場 / りんりんと(1974年、北海道放送)

◇ じゃあね(1974年、NHK)

◇ 前略おふくろ様(1975年、日本テレビ) - 主人公の母親役

◇ 東芝日曜劇場 / 幻の町(1976年、北海道放送)

◇ 連続テレビ小説 / 雲のじゅうたん(1976年、NHK) - ナレーション

◇ 東芝日曜劇場 / 惜春の歌(1976年、中部日本放送)

◆ 田中絹代 / 監督映画作品

◇ 恋文(1953年)

◇ 月は上りぬ(1955年)

◇ 乳房よ永遠なれ(1955年)

◇ 流転の王妃(1960年)

◇ 女ばかりの夜(1961年)

◇ お吟さま(1962年)

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