作家 吉行淳之介 さん死去
1994年(平成6年)7月26日 死去 享年70歳
作家 吉行淳之介 さん死去
対談やエッセイの名手としても知られた作家の 吉行 淳之介(よしゆき じゅんのすけ)さんが 1994年(平成6年)7月26日、肝臓がんのため東京都中央区の聖路加国際病院で死去した。70歳だった。
1954年(昭和29年)、「驟雨」で第31回芥川賞を受賞した。当時、同世代の作家、遠藤周作、安岡章太郎、三浦朱門、近藤啓太郎らとともに「第三の新人」と呼ばれた。
作家で詩人の吉行エイスケは父。美容師の吉行あぐりは母。女優の吉行和子、詩人の吉行理恵は妹である。

人物 / 略歴
吉行 淳之介(よしゆき じゅんのすけ、1924年(大正13年)4月13日 ~ 1994年(平成6年)7月26日)
岡山県岡山市に生まれる。東京麹町に育った。
◆ 略 歴
1945年4月、東京帝国大学に入学。5月の東京大空襲で焼け出され、8月に終戦を迎えた。
大学の授業にはあまり出席せず(学費をついに一度も払わず、学費未納のため除籍処分)。1947年新太陽社に入社し雑誌の編集に携わった。
1952年『原色の街』が芥川賞候補になるが落選。その後『谷間』や『ある脱出』で候補に上るが、いずれも落選。
肺に結核による空洞が見つかり、肺切除の手術を受けて療養中の1954年、『驟雨』で第31回芥川賞を受賞した。
当時、吉行と同世代の作家、遠藤周作、安岡章太郎、三浦朱門、近藤啓太郎らは「第三の新人」と呼ばれた。
また、長年にわたって週刊誌に対談コーナーを連載し「座談の名手」としても知られた。
1994年、肝臓癌のため聖路加国際病院で死去した。享年70歳。
特記事項
◆ 吉行淳之介 / 女性関係
女性関係においてもその人生は常に女性に彩られていた。若い頃に結婚した妻の吉行文枝との間に女児が一人いた。
結婚後約10年後に知り合った女優の宮城まり子は生涯に渡り同居した事実上の伴侶・パートナーであった。没後には宮城が葬式一切を取り仕切る事となった。しかし、妻は終生離婚に応じなかった。
その他にも愛人がおり、死去後に大塚英子と高山勝美が名乗り出ている。
◆ 吉行淳之介 / 主な著書(1970年以降)
◇ 『暗室』 講談社、1970年、のち講談社文庫、文芸文庫 (谷崎潤一郎賞受賞)
◇ 『浅い夢』 毎日新聞社、1970年、のち角川文庫
◇ 『小野小町』 読売新聞社、1970年、(小説選書)
◇ 『吉行淳之介全集』全8巻 講談社、1971~72
◇ 『裸の匂い』 ベストセラーズ、1971年、のち集英社文庫
◇ 『湿った空乾いた空』 新潮社、1972年、のち新潮文庫
◇ 『一見猥本風』 番町書房、1973年、のち角川文庫
◇ 『猫踏んじゃった』 番町書房、1973年、のち角川文庫
◇ 『出口・廃墟の眺め』 講談社文庫、1973年
◇ 『鞄の中身』 講談社、1974年、のち講談社文庫、文芸文庫 読売文学賞受賞。
◇ 『赤と紫』 角川文庫、1974年
◇ 『吉行淳之介自選作品』全5巻 潮出版社、1975年
◇ 『子供の領分』 番町書房、1975年、のち角川文庫、集英社文庫
◇ 『童謡』 出帆社、1975年、のち集英社文庫
◇ 『怖ろしい場所』 新潮社、1976年、のち新潮文庫
◇ 『牝ライオンと豹』 角川文庫、1976年
◇ 『吉行淳之介エンタテインメント全集』全11巻 角川書店、1976~77
◇ 『寝台の舟』 旺文社文庫、1977年
◇ 『鬱の一年』 角川文庫、1978年
◇ 『夕暮まで』 新潮社、1978年、のち新潮文庫
◇ 「夕ぐれ族」の語源。社会現象となった。野間文芸賞受賞
◇ 『菓子祭』 潮出版社、1979年、のち角川文庫、講談社文芸文庫
◇ 『堀部安兵衛 黒鉄ヒロシえ』 集英社文庫、1980年
◇ 『百の唇』 掌篇小説選、講談社、1982年
◇ 『夢の車輪 パウル・クレーと十二の幻想』 掌篇小説集、文藝春秋、1983年
◇ 『吉行淳之介全集』全17巻 別巻3巻 講談社、1983~85年
◇ 『目玉』 新潮社、1989年、のち新潮文庫
◇ 『吉行淳之介全集』全15巻 新潮社、1997~98年
◇ 『悩ましき土地』 講談社文芸文庫、1999年