追悼の森
新田 次郎さん死去

作家 新田 次郎 さん死去

1980年(昭和55年)2月15日 死去 享年67歳

新田次郎写真 

作家 新田次郎 さん死去

山をテーマにした作品を数多く残し「山を描ききった作家」と称された 新田 次郎(にった じろう)さんが 1980年(昭和55年)2月15日午前8時半頃、心筋梗塞のため武蔵野市内の自宅で死去した。67歳だった。

主に山岳小説の分野ですぐれた 作品を残した。

代表作「八甲田山 死の彷徨」は、世界山岳史上最大とも言われる 犠牲者が発生した青森県八甲田山における山岳遭難事故(八甲田雪中行軍遭難事件 )を題材として執筆した山岳小説である。

人物 / 略歴

新田 次郎(にった じろう、1912年6月6日 ~ 1980年2月15日)

本名は藤原 寛人(ふじわら ひろと)。長野県諏訪郡上諏訪町(現:諏訪市)角間新田に生まれる。小説家、気象学者。

妻ていは作家。次男正彦は数学者・エッセイスト。長女の咲子は家族を書いた小説を発表している。おじに気象学者藤原咲平がいる。

◆ 略 歴

電機学校(現:東京電機大学の母体)卒業。

◆ 年 譜

1932年 - 中央気象台(現:気象庁)に入庁。富士山観測所に配属

1935年 - 電機学校卒業

1939年 - 兩角(もろすみ)ていと結婚

1940年 - 中央気象台布佐気象送信所に転勤。

1942年 - 中央気象台母島測候所建設に工事担当官として赴く

1943年 - 満州国観象台(中央気象台)に、高層気象課長として転職。

1945年 - 新京にてソ連軍の捕虜となり、中国共産党軍にて一年間抑留生活を送る。

1946年 - 帰国。中央気象台に復職

1951年 - サンデー毎日第41回大衆文芸に『強力伝』を応募、現代の部一等に輝き作家活動をはじめる。丹羽文雄主催の『文学者』の同人になる。

1956年 - 『強力伝』にて、第34回直木賞を受賞

1963年 - 1965年 - 富士山気象レーダー建設責任者となり、建設を成功させる。

1966年 - 気象庁観測部測器課長を最後に依願退職

1974年 - 『武田信玄』などの執筆活動に対し、吉川英治文学賞受賞

1979年 - 紫綬褒章受章

1980年 - 2月15日、心筋梗塞のため武蔵野市の自宅にて午前8時半頃に急死。

特記事項

ペンネームは「新田の次男坊」から(「しんでん」を「にった」と読み替え)。

正五位勲四等旭日小綬章。

◆ 新田次郎 / 作品一覧

◇ 蒼氷
◇ 強力伝
◇ 縦走路
◇ 富士に死す
◇ 孤高の人
◇ 銀嶺の人
◇ 槍ヶ岳開山
◇ 珊瑚
◇ 八甲田山死の彷徨
◇ アラスカ物語
◇ 富士山頂
◇ 芙蓉の人
◇ 怒る富士
◇ 栄光の岩壁
◇ 武田信玄
◇ 武田勝頼
◇ 新田義貞
◇ 大久保長安 - 未完
◇ ある町の高い煙突
◇ 小説に書けなかった自伝
◇ アイガー北壁・気象遭難
◇ 冬山の掟
◇ 劒岳 点の記
◇ 笛師
◇ 聖職の碑
◇ 鷲が峰物語
◇ 風の遺産
◇ 密航船水安丸
◇ 火の島
◇ 孤愁 サウダーデ(共著小説 / 文藝春秋社)
◇ 霧の子孫たち

◆ 新田次郎 / 映像化作品

◇ 白い夏 - 1957年、日活、斎藤武市監督

◇ ふるさとの風 - 1959年、松竹大船、原研吉監督

◇ 海流 - 1959年、松竹大船、堀内真直監督

◇ 風の中の瞳 - 1959年、松竹大船、川頭義郎監督

◇ 富士山頂 - 1970年、日活、村野鐵太郎監督

◇ 八甲田山 - 1977年、東宝、森谷司郎監督

◇ アラスカ物語 - 1977年、東宝、堀川弘通監督

◇ 聖職の碑 - 1978年、東宝、森谷司郎監督

◇ 劒岳 点の記 - 2009年、東映、木村大作監督

◆ 新田次郎 / テレビ化作品

◇ つぶやき岩の秘密 1973年 NHK少年ドラマシリーズ

◇ 武田信玄 1988年 NHK大河ドラマ

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