芥川賞作家 林 京子さん死去
2017年(平成29年)2月19日 死去 享年86歳
芥川賞作家 林 京子 さん死去
長崎での自身の被爆体験をもとに、一貫して原爆文学を書き続けた作家の 林 京子(はやし きょうこ)さんが 2017年(平成29年)2月19日、死去した。86歳だった。
本名は宮崎 京子(みやざき きょうこ)
子ども時代を上海で過ごし、1945年(昭和20年)に帰国。
長崎高等女学校に在学中、爆心地から1キロ余りの場所にあった学徒動員先の工場で被爆した。
被ばくの恐怖と向き合いながら結婚、出産、離婚を経て、30年後の1975年(昭和50年)、爆心地付近をさまよったときの様子をつづった「祭りの場」で芥川賞を受賞。
その後も「8月9日の語り部」として被爆の実態を問い続ける創作を展開した。

人物 / 略歴
林 京子(はやし きょうこ、1930年8月28日 ~ 2017年2月19日)
長崎県長崎市出身。本名は宮崎京子。
◆ 略 歴
誕生の翌年、父(三井物産社員)の勤務地・上海に移住。
1945年に帰国し、長崎県立長崎高等女学校(現:長崎県立長崎東中学校・高等学校、長崎県立長崎西高等学校)3年に編入学。
同年8月9日、市内大橋にある三菱兵器工場に学徒動員中、被爆した。
長崎医科大学附属厚生女学部専科(現:長崎大学医学部)中退。
1963年(昭和38年)、被爆者手帳を受ける。
被爆からおよそ30年を経て、その体験をモチーフに書きつづった短編『祭りの場』で第18回群像新人文学賞、および第73回芥川賞。
受賞後、連作『ギヤマン ビードロ』にて芸術選奨文部大臣新人賞受賞の内示を受けるが、「被爆者であるから国家の賞を受けられない」として辞退。
その後も自身の被爆体験や家庭における問題、上海での少女時代などをもとにした作品を展開していく。
1983年『上海』で女流文学賞。
1984年『三界の家』で川端康成文学賞。
1990年『やすらかに今はねむり給え』で谷崎潤一郎賞。
2000年『長い時間をかけた人間の経験』で野間文芸賞。
2006年『その全集に至る文学的功績』を評価され、2005年度朝日賞を受賞。
2017年(平成29年)2月19日、死去。享年86歳。
特記事項
原爆を特権化する姿勢があるとして批判もあり、中上健次は「原爆ファシスト」と呼んだことがある。
◆ 主な受賞歴
◇ 群像新人文学賞 - 1975年
◇ 芥川龍之介賞 - 1975年
◇ 女流文学賞 - 1983年
◇ 川端康成文学賞 - 1984年
◇ 谷崎潤一郎賞 - 1990年
◇ 野間文芸賞 - 2000年
◇ 朝日賞 - 2006年
◆ 著 書
◇ 『祭りの場』講談社
◇ 『ギヤマン ビードロ』講談社
◇ 『ミッシェルの口紅』中央公論社
◇ 『無きが如き』講談社
◇ 『自然を恋う』中央公論社
◇ 『上海』中央公論社
◇ 『三界の家』新潮社
◇ 『道』文藝春秋
◇ 『谷間』講談社
◇ 『ヴァージニアの青い空』中央公論社
◇ 『ドッグウッドの花咲く町』影書房
◇ 『輪舞』新潮社
◇ 『やすらかに今はねむり給え』講談社
◇ 『瞬間の記憶』新日本出版社
◇ 『青春』新潮社
◇ 『老いた子が老いた親をみる時代』講談社
◇ 『樫の木のテーブル』中央公論社
◇ 『おさきに』講談社
◇ 『予定時間』講談社
◇ 『長い時間をかけた人間の経験』講談社
◇ 『希望』講談社
◇ 『林京子全集』全8巻、日本図書センター
共著
◇ 『被爆を生きて 作品と生涯を語る』島村輝 聞き手 岩波ブックレット