作家 野坂 昭如 さん死去
2015年(平成27年)12月9日 死去 享年85歳
作家 野坂 昭如 さん死去
「火垂るの墓」などの作品で知られる直木賞作家で、元参議院議員の 野坂 昭如(のさか あきゆき)さんが 2015年(平成27年)12月9日午後10時37分ごろ、心不全のため東京都新宿区の東京医大病院で死去した。85歳だった。
2003年に脳梗塞で倒れ、自宅でリハビリを続けていた。
早稲田大学在学中にCMソングの歌詞やテレビの台本などを書き始め、1963年(昭和38年)に「おもちゃのチャチャチャ」で日本レコード大賞童謡賞を受賞。
1968年、「火垂るの墓」などで第58回 直木賞を受賞。
みずから「焼跡闇市派」を自称し、本業の作家以外にも幅広い分野で活躍し話題を集めた。

人物 / 略歴
野坂 昭如(のさか あきゆき、1930年(昭和5年)10月10日 ~ 2015年(平成25年)12月9日)
神奈川県鎌倉市に生まれた。
◆ 略 歴(生い立ち)
父は土木技師で戦後に新潟県副知事を務めた野坂相如。
実母ぬいは昭如を産んだ二月後に亡くなった。
生後半年で神戸の張満谷(はりまや)家へ養子に出される。
◆ 略 歴
旧制新潟高校在学中に学制改革が起き、1949年に新制新潟大学に入学するも3日で退学。
1950年、早稲田大学第一文学部仏文科に入学。1956年に中退。
1962年に刊行した「プレイボーイ入門」で「元祖プレイボーイ」として脚光を浴びる。
963年、小説『エロ事師たち』で作家デビュー。
1967年には、『火垂るの墓』『アメリカひじき』で直木賞受賞。
また、社会評論も多数執筆するようになり、「焼跡闇市派」を名乗り、その体験から既存の右翼・左翼それぞれを批判していく評論活動を行う。
作家としてはその後、、1985年「我が闘争 こけつまろびつ闇を撃つ」で講談社エッセイ賞受賞。
1997年に「同心円」で吉川英治文学賞受賞。
2002年に「文壇」およびそれに至る文業で泉鏡花文学賞を受賞。
作詞家としては「おもちゃのチャチャチャ」の第5回日本レコード大賞童謡賞の受賞。
1973年2月21日、編集長を務めていた月刊誌「面白半分」に掲載した「四畳半襖の下張」(永井荷風著)について、「猥褻文書の販売」違反に問われ起訴され、その後、有罪が確定している。
1983年6月の第13回参議院議員通常選挙に、第二院クラブの比例代表名簿1位として出馬し、当選した。
しかし、当選から約半年後に、第37回衆議院議員総選挙に出馬するために議員を辞職。
総選挙では野坂は田中角栄に挑む形で同じ新潟3区から立候補し、落選した。
◆ 晩 年
2003年に脳梗塞で倒れてからはリハビリを続けていた。
毎日新聞に隔週で「七転び八起き」、週刊プレイボーイに「ニッポンへの遺言」を執筆。
2015年12月9日、心不全のため死去。85歳没。
同日、自宅で意識が無い状態にあったのを発見され、都内の病院に搬送されたが死亡が確認された。
特記事項
文壇界きっての犬猫好き、酒好きである。
◆ エピソード
1990年10月23日、映画監督大島渚の真珠婚式パーティーで、祝辞を終えると同時に、大島の眼鏡が吹っ飛ぶほどのパンチを食らわすが、大島も負けじとマイクで野坂の顔面を2発殴った。後に和解した。
◆ 作詞家 野坂昭如
◇ おもちゃのチャチャチャ
◇ 文化放送QRソング
◇ ラジオ大阪
◇ ハトヤCMソング
◇ ハウス・バーモントカレーの唄
◇ パルナス製菓CMソング
◇ 狸小路のうた 札幌狸小路商店街
◆ 著書(2000年以降)
◇ 『少女M』 - 2000年
◇ 『野坂昭如コレクション』全3巻 2000-2001年
◇ 『文壇』文藝春秋 - 2002年
◇ 『野坂昭如リターンズ』全4巻 - 2002-2003年
◇ 『死刑長寿』文藝春秋 - 2004年
◇ 『野坂昭如ルネサンス』 - 2007-8年
◇ 『20世紀断層』 - 2010年
◇ 『終末処分』 - 2012年
◇ 『かくて日本人は飢死する』 - 2000年
◇ 『妄想老人日記』 - 2000年
◇ 『「終戦日記」を読む』 - 2002年
◇ 『週刊日本の古典を見る』 - 2002年
◇ 『野坂昭如エッセイ・コレクション』全3冊 - 2004年
◇ 『最後の林檎』 - 2005年
◇ 『ひとり連句春秋』 - 2009年
◇ 『しぶとく生きろ』 - 2010年
◇ 『終末の思想』 - 2013年
◇ 『シャボン玉日本』 - 2014
◆ 出演CM
◇ サントリー
◇ ルームランナー
◇ 日本専売公社(現:JT)
◇ 学生援護会
◇ アース製薬「ダニアース」