追悼の森
加瀬 邦彦さん死去

作曲家、音楽プロデューサー
加瀬 邦彦 さん死去

2015年(平成27年)4月21日 死去 享年74歳

加瀬 邦彦写真 

作曲家 加瀬 邦彦 さん死去

グループサウンズ「ザ・ワイルドワンズ」のリーダーで、作曲家、音楽プロデューサーの 加瀬 邦彦(かせ くにひこ)さんが 2015年(平成27年)4月21日、東京都港区内の自宅で死去した。74歳だった。

1966年(昭和41年)7月に「ザ・ワイルドワンズ」を結成。

デビュー曲「想い出の渚」が大ヒット。

その後、「青空のある限り」など、ヒット曲を連発し、GSブームの一翼を担った。

また、沢田研二さんのプロデューサーも務め、「危険なふたり」や「TOKIO」などの作曲も手掛けた。

21日朝、自宅の洗面所前で亡くなっている加瀬さんを家族が発見したという。

昨年、咽頭がんを発症。手術後は食道発声法を練習していた。

人物 / 略歴

加瀬 邦彦(かせ くにひこ、1941年3月6日 ~ 2015年4月21日)

東京都出身。

◆ 略 歴

1957年、慶應義塾高等学校1年生の時、先輩の紹介により俳優上原謙のクリスマス・パーティーに誘われ、当時慶應義塾大学2年生だった加山雄三に出会い、親交を深めるようになる。

1961年には慶應義塾大学時代、初めてのバンド「ザ・トップビーツ」を結成。

1966年7月に、加山雄三が名付け親となるザ・ワイルドワンズを結成。

得意の12弦ギター(ヤマハ特注)は、ワンズサウンドの要となる。

解散後は、作曲家としてだけでなく、沢田研二のプロデューサーとなる。

1981年、渡辺を除くメンバー(加瀬、鳥塚、島、植田)4名でザ・ワイルドワンズを再結成。

食道癌の手術をしたことを著書で明かしていた。

2015年4月21日、74歳で亡くなったことが明らかにされた。

特記事項

警視庁麻布署は自殺の可能性もあるとみて詳しい死因を調べている。

◆ 主な作曲作品

◇ 1966年 - 「想い出の渚」

◇ 1967年 - 「夕陽と共に」

◇ 1967年 - 「青空のある限り」

◇ 1968年 - 「愛するアニタ」

◇ 1968年 - 「バラの恋人」

◇ 1968年 - 「花のヤングタウン」

◇ 1968年 - 「青い果実」

◇ 1968年 - 「シー・シー・シー」

◇ 1969年 - 「あの頃」

◇ 1969年 - 「赤い靴のマリア」

◇ 1972年 - 「許されない愛」

◇ 1973年 - 「情熱の砂漠」

◇ 1973年 - 「指輪のあとに」

◇ 1973年 - 「あなたへの愛」

◇ 1973年 - 「危険なふたり」

◇ 1973年 - 「胸いっぱいの悲しみ」

◇ 1974年 - 「恋は邪魔もの」

◇ 1974年 - 「追憶」

◇ 1974年 - 「冬の駅」

◇ 1974年 - 「黄昏の街」

◇ 1975年 - 「白い部屋」

◇ 1976年 - 「ウィンクでさよなら」

◇ 1978年 - 「女はそれを我慢できない」

◇ 1980年 - 「TOKIO」

◇ 1980年 - 「恋のバッド・チューニング」

◇ 1980年 - 「夢みるマイ・ボーイ」

◇ 1981年 - 「めざめてキス・ミー」

◇ 1984年 - 「超電子バイオマン」

◇ 2012年 - 「渚のラララ」

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