追悼の森
園田 天光光さん死去

日本初の女性代議士の一人
園田 天光光 さん死去

2015年(平成27年)1月29日 死去 享年96歳

園田天光光写真 

元衆院議員 園田 天光光さん死去

日本初の女性衆院議員のひとり 園田 天光光(そのだ てんこうこう)さんが2015年(平成27年)1月29日午後、多臓器不全のため東京都八王子市内の病院で死去した。96歳だった。

1946年(昭和21年)4月、婦人参政権実現後初の衆院選に旧東京2区から出馬し、初めて誕生した39人の女性国会議員の一人として当選し、衆院議員を3期務めた。

また、1949年、民主党の妻子ある青年代議士・故園田直 元外相(1984年没)との恋愛が発覚(その後結婚)、白亜の恋としてマスコミを賑わせた。

90歳を超えてもなお、日本・ラテンアメリカ婦人協会名誉会長など多数の団体の役員を務めた。

人物 / 略歴

園田 天光光(そのだ てんこうこう、1919年1月23日 ~ 2015年1月29日)

東京都出身。旧姓は松谷。

「天光光」という個性的な名前は本名。夫は園田直。

◆ 略 歴

青山学院、1940年東京女子大学英語専攻部、1942年早稲田大学法学部をそれぞれ卒業。

1944年から海軍省報道部嘱託を務め、全国の海軍工廠をめぐり勤労動員のカウンセラーをしていた。

1946年、第22回衆議院議員総選挙に旧東京2区(大選挙区)から餓死防衛同盟で立候補し当選、日本初の女性代議士の一人となる。

1949年の第24回総選挙では労農党から3選されたが、離党、無所属になった。

1949年、民主党の妻子ある青年代議士・園田直との恋愛が発覚、白亜の恋としてマスコミを賑わせた。

父の猛反対を押し切って駆け落ち同然に同棲、結婚した。

一方追い出された形の前妻は、舅の看病に務めながら元のサヤに戻る日を待ち続け、世間の同情を得た。

1952年の第25回総選挙で松谷姓のまま改進党から立候補したが落選。

以後、旧熊本2区で当選を重ねる夫・直のサポートに専念するようになった。

1984年に直が死去すると、後援会が分裂し、前妻の息子である園田博之との激しい対立が「骨肉の争い」としてマスコミで取り上げられた。

初めて園田姓での立候補となった天光光は、トップ当選した博之に遠く及ばず落選。以後は立候補せず、国会外での活動を積極的に進めた。

90歳を超えてもなお、自民党各種婦人団体連会長、NPO法人育桜会理事長など、多数の団体の役員を務めた。

2015年1月29日、東京都内の病院で死去。満96歳没。

特記事項

2009年5月、ブルガリアにおける外国人に贈られる最高位の勲章である「スタラ・プラニナ」(ブルガリア語版)を受章。

馬場あき子に師事して短歌を作り、歌集も出している。

◆ 園田 天光光 / 著書

◇ 『天光光由来』 山手書房 1986

◇ 『うす紫の色深ければ』 マネジメント社 2008

◇ 『女は胆力』 平凡社新書 2008

◇ 『 園田天光光 生きがい上手』 たちばな出版 2008

◇ 『祈りは深し 園田天光光歌集』 たちばな出版 2009

◇ 『へこたれない心』 学研 2012

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