前衛美術家、作家
赤瀬川 原平 さん死去
2014年(平成26年)10月26日 死去 享年77歳
前衛美術家、作家 赤瀬川 原平さん死去
前衛美術家で芥川賞作家の 赤瀬川 原平(あかせがわ げんぺい)さんが 2014年(平成26年)10月26日午前6時33分、敗血症のため東京都町田市内の病院で死去した。77歳だった。
前衛美術の旗手として頭角を現し、純文学作家として尾辻克彦の筆名で小説を執筆、1981年(昭和56年)に「父が消えた」で第84回芥川賞を受賞。
エッセーでも1998年の「老人力」でベストセラーになり、「老人力」は同年の流行語大賞を受賞するなど幅広く活躍した。

人物 / 略歴
赤瀬川 原平(あかせがわ げんぺい、1937年3月27日 ~ 2014年10月26日)
神奈川県横浜市中区本牧町に生まれる。本名は赤瀬川克彦。
純文学作家としては尾辻克彦というペンネームがある。
◆ 略 歴
武蔵野美術学校(現:武蔵野美術大学)油絵学科中退。
6人兄弟姉妹の下から2番目。幼稚園時代から大分県大分市で育つ。
◆ 前衛芸術
1958年、第10回読売アンデパンダン展に初出品。以後、1964年に同展が終了するまで出品を続ける。
1962年には、ポスターカラーで描いた絵画「破壊の曲率」でシェル美術賞に入選。
千円札を詳細に観察し、「千円札の表だけを一色で印刷」したものに手を加えたものを作品とし発表。
1965年、これが通貨及証券模造取締法違反に問われ、起訴され話題となった。
1967年6月の東京地裁の一審で「懲役3年、執行猶予1年、原銅版没収」の判決。上告ののち1970年に有罪確定。
◆ 櫻画報
1970年代から『朝日ジャーナル』『ガロ』などで漫画家として活動。
◆ 純文学作家
短編「父が消えた」で、1981年、第84回芥川賞を受賞。
1983年、「雪野」で野間文芸新人賞を受賞。
◆ その他
1989年には、勅使河原宏と共同脚本を担当した映画『利休』で、日本アカデミー賞脚本賞を受賞。
著作『老人力』は筑摩書房はじまって以来最高のベストセラーとなり、「老人力」は同年の流行語大賞を受賞。
◆ 死去
2011年に胃癌による全摘手術が行われて以降、脳出血や肺炎などで体調を崩しており、療養中であった。
2014年10月26日、敗血症のため東京都町田市の病院で死去。77歳没。
特記事項
千葉市美術館を皮切りに全国巡回する回顧展「赤瀬川原平の芸術原論展」の開幕を同月28日に控えていた。
兄は直木賞作家の赤瀬川隼。姉の赤瀬川晴子は帽子作家。
◆ 赤瀬川原平名義の著書(2000年以降)
◇ わかってきました。
◇ 赤瀬川原平の名画探険
◇ 赤瀬川原平の今月のタイトルマッチ
◇ 中古カメラウィルス図鑑
◇ ゼロ発信 中央公論新社
◇ 悩ましき買物
◇ 我輩は病気である
◇ 赤瀬川原平のブータン目撃
◇ よみもの 無目的
◇ 地球に向けてアクセルを踏む
◇ 全面自供! 松田哲夫聞き手
◇ 中古カメラ大集合
◇ 老いてはカメラにしたがえ
◇ 猫の文明
◇ 路上の神々
◇ ケダモノ時代
◇ 赤瀬川原平の日本美術観察隊
◇ ぼくの昔の東京生活
◇ 背水の陣
◇ 中山道俳句でぶらぶら
◇ 新正体不明
◇ 自分の謎
◇ 目玉の学校
◇ 運命の遺伝子UNA
◇ ふしぎなお金
◇ 私の昭和の終わり史
◇ 四角形の歴史
◇ 中古カメラの逆襲
◇ 祝!中古良品 アカセガワ版養生訓
◇ 大和魂
◇ NHK知るを楽しむ 人生の歩き方
◇ 猫から出たマコト
◇ 日本男児
◇ もったいない話です
◇ 戦後腹ぺこ時代のシャッター音
◇ 昭和の玉手箱
◇ 散歩の学校
◇ 東京随筆
◇ 健康半分
◇ 個人美術館の愉しみ
◇ 「墓活」論 PHP新書
◆ 尾辻克彦名義の著書
◇ 肌ざわり
◇ 父が消えた 五つの短篇小説
◇ お伽の国の社会人
◇ 本物そっくりの夢 赤瀬川原平
◇ 整理前の玩具箱
◇ 国旗が垂れる
◇ 吾輩は猫の友だちである
◇ 雪野
◇ シルバー・ロード
◇ 明日は明日の今日がくる
◇ 野次馬を見た!
◇ 超貧乏ものがたり
◇ 超プロ野球 集中力の精神工学
◇ 少年とグルメ
◇ カメラが欲しい
◇ 贋金づかい
◇ グルメに飽きたら読む本
◇ 出口
◇ 不思議の国の広告(編)
◇ ライカ同盟