追悼の森
東伏見 慈洽さんご逝去

天皇陛下の叔父
東伏見 慈洽 さんご逝去

2014年(平成26年)1月1日 逝去 享年103歳

東伏見慈洽写真 東伏見慈洽画像

天皇陛下の叔父 東伏見 慈洽 さんご逝去

天皇陛下の叔父で、天台宗青蓮院の前門主 東伏見 慈洽(ひがしふしみ じごう)さんが 2014年(平成26年)1月1日午前4時25分、慢性心不全のため京都市内の病院で死去した。103歳だった。

皇族の久邇宮邦彦(くにのみや くによし)氏の三男として生まれた。

1931年(昭和6年)に皇籍を離脱し、京都帝国大学(現:京都大)を卒業後、1945年に得度。1953年から青蓮院門主を務めた。

2004年、次男の慈晃さんに青蓮院の門主を譲り、名誉門主に就いた。

6人きょうだいの末っ子で、長姉は昭和天皇の皇后 香淳皇后、3番目の姉は真宗大谷派の大谷光暢元門首の妻の智子さん。

人物 / 略歴

東伏見慈洽(ひがしふしみ じごう、1910年(明治43年)5月16日 ~ 2014年(平成26年)1月1日)

東京府東京市(現:東京都)に生まれる。

◆ 略 歴

久邇宮邦彦王の第三男子として誕生。

東伏見宮依仁親王・同妃周子より実子のようにかわいがられており、依仁親王夫妻には子女がなかったため、邦彦王と相談の上、当時9歳であった邦英王を東伏見宮に永く預かりの形で迎えることとなったり。

依仁親王薨去の際は御沙汰によって葬儀の喪主を務めた。

◆ 華族時代

1930年(昭和5年)5月に成年となり、勲一等に叙され、貴族院皇族議員となる。

しかし、東伏見宮家の祭祀を継承するため、1931年(昭和6年)の紀元節に臣籍降下の願出をなした。この願は、皇族会議及び枢密院の諮詢を経て、允可され、同年4月に「東伏見」の家名を賜い、華族に列せられ、伯爵を授けられた。なお、皇族の身分を離れたことで貴族院議員としての地位も失った。

◆ 僧侶時代

1945年(昭和20年)に京都の青蓮院で得度、善光寺大勧進の住職を経て、1953年(昭和28年)に青蓮院門跡の門主となって法名を慈洽と称した。

2004年(平成16年)2月に青蓮院の執事長であった次男の慈晃に門主の地位を譲った。

2013年(平成25年)には叔父にあたる東久邇宮稔彦王の存命記録を抜き、臣籍降下をした記録の確かな元皇族の中では歴代最長寿となった。

特記事項

東伏見慈洽の逝去により、今上天皇の叔父・叔母にあたる昭和天皇・香淳皇后の兄弟姉妹の中で存命しているのは三笠宮崇仁親王のみとなった。

◆ 東伏見慈洽 / 血縁

◇ 父 : 久邇宮邦彦王

◇ 母 : 島津俔子

◇ 兄弟 : 朝融王 - 邦久王 - 良子女王 - 信子女王 - 智子女王 - 邦英王

◇ 妻 : 東伏見保子

◇ 子
・ 東伏見韶淑
・ 東伏見慈晃(現 : 青蓮院門跡門主)
・ 東伏見睿淑

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