追悼の森
寛仁 親王殿下死去

寛仁親王殿下 薨去

2012年(平成24年)6月6日 薨去 享年66歳

寛仁親王殿下写真 

寛仁親王殿下 薨去

ヒゲの殿下として国民から親しまれてきた寛仁親王(ともひと しんのう)殿下が 2012年(平成24年)6月6日午後3時35分、多臓器不全のため東京都千代田区の杏雲堂病院で薨去された。66歳だった。

三笠宮崇仁親王と百合子妃の第一男子。

今上天皇の従弟にあたられ、身位は親王。皇位継承順位は第6位であられた。

度重なる手術を16回も受け、アルコール依存症も告知、皇室の中でもかなり大胆に発言される殿下だった

人物 / 略歴

寛仁親王(ともひとしんのう、1946年(昭和21年)1月5日 ~ 2012年(平成24年)6月6日)

日本の皇族。三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第一男子。

今上天皇の従弟、麻生太郎元内閣総理大臣の義弟にあたる。

身位は親王。皇室典範における敬称は殿下。お印は柏(かしわ)。勲等は大勲位。学位は政治学士(学習院大学)。称号(名誉学位)は名誉博士(アンカラ大学)。

◆ 略歴

1946年(昭和21年)1月5日、神奈川県葉山の三笠宮御假寓所にて、三笠宮崇仁親王と百合子妃の第一男子として誕生。

1966年(昭和41年)1月、成年式に伴い大勲位に叙され、菊花大綬章を授けられる。

1968年(昭和43年)、学習院大学法学部政治学科を卒業した(政治学士)。

同年から1970年(昭和45年)までの2年間、イギリスのオックスフォード大学モードリン・コレッジに留学。

1970年から1972年(昭和47年)には、札幌オリンピック組織委員会事務局に、また1975年(昭和50年)には、沖縄国際海洋博覧会世界海洋青少年大会事務局に勤務した。

伯父の高松宮宣仁親王の影響を受けて早くから障害者福祉やスポーツ振興などの公務に積極的に取り組んできた。

また、日英協会名誉総裁をはじめ、諸外国との交際にも意欲的に取り組んだ。

特記事項

咽頭癌が見つかったことから、2008年(平成20年)3月に手術を受けた。

この際、喉の一部を塞ぐ手術を行ったが、それが原因で声帯を震動させる空気の出口が塞がれ、声を失った。

公務の際には、電気喉頭を首に当てて会話を行っていた。

◆ 著作 / 単著

◇ 『トモさんのえげれす留学』文藝春秋、1971年。

◇ 『皇族のひとりごと』二見書房、1977年。

◇ 『雪は友だち――トモさんの身障者スキー教室』光文社、1985年。

◇ 『今ベールを脱ぐ ジェントルマンの極意』 小学館 2010年、友人3名との紳士服談義。

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